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歌舞伎町ディスコへ・・

75年の春くらいから僕はV-OneでDJとして毎日を過ごすようになった。毎日がドキドキ、ワクワクの連続で楽しかった。
今でこそダンスクラシックだけれど、リアルタイムでは毎日が未知の世界であり、明日、どんな曲や踊りが入ってくるのかは誰も知らないことだったから。

当時のスタイルとしては、BPM(曲のテンポ)や小節を合わせて繋いでいく・・MIXという概念は全くと言っていいほどなかった。
80年代からのMIXしていく技術から比べると、機材が違ったとは言え、あまりにシンプルなDJスタイルだったと思う。
ジュークボックスでかけて踊る店が、まだ存在していたくらいだから、今かかっている曲と次の曲が別物なのは当然・・DJもお客も、そういう発想しかなかったのだろう。

もちろん、フロアのお客さんが引かないようにするためには必然的に繋ぎを意識することもあったけれど、それはあくまで、フロアのノリをそがないようにするための一要素だった。フロアが引いていきそうなら、MCであおるのが、当時のスタイルだった。そういう意味では、DJとフロアの繋がりは、曲とお客以上に強い場合もあったかもしれない。

月日と共に、店のメンバーは入れ替わっていき、佐渡から来ていたイケちゃん、そして、チェーン店から移ってきたロニー(嬉しいことに最近、再会!)、大阪から来たベルとラリー(この二人は赤坂のハーレムに移っていった)、僕と仲の良かったエディ大島(このサイト見たら連絡下さい^^)、専門学校生の松浦さん達などがV-Oneでの最後の仲間だった。

店長が替わって、僕はどうも新しい店長に嫌われていて、毎日のようにイビられ始めていた。
まぁ、その人はソウルもファンクもヘッタクレもない人間だったから、合わなかったのは無理もないんだけど、それ以前に生理的にダメだったんだね、お互いに。
僕はV-Oneや仲間が好きだったから続けたかったのだけど、もう、どうにもならなくなった。

前の店長の渡辺さんが移動したチェーン店で、歌舞伎町にあった「Q&B」(キューアンドビー、略してキュービーと呼ばれてた)に遊びに行ったついでに相談したんだ。
そしたら、渡辺店長が、二つ返事で「あ、そう。じゃ、こっちに来なさい」って言ってくれたの。

V-Oneに比べると「Q&B」は、かなり小箱だった。ちなみに当時の歌舞伎町は、今のような感じじゃなかった。少なくとも性風俗の店が立ち並ぶ街ではなかったよね。それでも、西口とは雰囲気が違った。そういうわけで、いざ移るとなると迷ったよね。当時「Q&B」のそばには、アップルハウス、ブラックシープの二つのディスコがあった。

アップルハウス、ブラックシープ共に、バンドとDJが交代の店。アップルハウスは、DJブースがクレーン式に上がったり下がったりして、バンド・タイムは上にあがってて、DJタイムはステージに降りてくる・・そう!赤坂ムゲンのスタイルだった。入り口がアフロの黒人の顔になっててね、口のところから出入りしたっけ。エレベーターに乗って・・地下だったかな?

新宿ブラックシープの前身は、これは、赤坂ビブロスのチェーン店として、たしか「ホールドアップ」というディスコとしてオープンしたと思う。従業員が皆、アメリカのポリスのかっこうしてるのね。新宿ブラックシープに行ったことのある人は内装覚えてますか?なんか、アメリカの牢屋みたいな・・そんな感じだったでしょう?あれは「ホールドアップ」の内装のまんま居抜きだったんですよ。

「ホールドアップ」のバンドタイムはハードロック!当時は、まだあったんだよね、ハードロックでゴーゴーみたいの踊らす店がね。
・・と言うか、僕の記憶が間違ってなければ、この「ホールドアップ」は赤坂ビブロスのチェーン店だったわけで、ビブロスは白人向けの店だったからね。ロックやポップスで踊らせてたから、そのノリだったんだよね・・「ホールドアップ」は。
DJタイムはソウルだったような気がするけど・・でも、このスタイルは新宿じゃ受けないよねぇ。で、開店してすぐに撤退。

そのまんま居抜きでオープンしたのがブラックシープだったわけ。社長は、元は電気屋さんでいらしたそうだけど、僕的には商売の神様だと思ってます・・石川社長!
現在も、野郎寿司、カチカチ山など多くの店舗をチェーン店として展開されてるわけですから、すごいよねぇ。最近も、銀座のリアライズに行く前は銀座カチカチ山で皆で飲んでますけど、安いよねぇ〜♪余談ですけどね^^

当時の歌舞伎町だと、東亜会館にはカンタベリーチェーンがあったと思うけど、後に「新宿のディスコといえば東亜会館」となる気配は、まだ全然なかった。
コマ劇場横の東宝会館4Fにはビッグツギャザーがあってね(その跡地はゼノン、現在はコード)テレビでも宣伝しててね、えらく活況だったです。でかい箱だったよね。千人以上軽く入る店でしたからね。ハンパじゃないです。
ビッグツギャザーには、78年くらいに僕もDJとして勤めたけど、ブースが上でね、お客からは見えないんだけど、フロアを見下ろす位置にあってね、いやぁ、アースのファンタジーなんかで一斉にお客さんが踊るとすごかったですよ。千本くらいの腕が天井めがけて上がるんだから、そりゃぁもうね。
このビルの7階に「TomorrowU.S.A.」があった。
のちに6階に、市川ヒロシさんのいらした、あの「ONE PLUS ONE」がオープンしたんだよね。
一階に映画館があり(もちろん、現存)、歌舞伎町のど真ん中だけど、当時はディスコビルってイメージだった。
東宝会館の前のジョイパックビル(地下にサウナ)の4Fには、プレイハウスってディスコがあった。ここは後にNEW YORK NEW YORKになる。

でも、当時の歌舞伎町のディスコビルと言ったら・・モナミビルだった印象がある。
コマ劇場の手前の斜め前・・あの細長いビル。
あのビルの前を通る時、見上げては、ここによくディスコがあったなぁと思うほど、細長い。当時は狭いって印象はなかったけどなぁ。このビルには、2〜3階に新宿ムゲン、5階にCRAZY HORSEがあった。70年代後半にはポップコーンがオープン。

そんな歌舞伎町のディスコシーンだったけど、結局、僕はV-Oneをあとにして、Q&Bに移っていった。西武新宿駅のすぐそば。路地裏の細長い階段を上がるとレジ窓があった。
そこがQ&Bの入り口。そして、僕にとって、次のディスコ人生への入り口だった。

1975年の秋・・
日本中にディスコブームが起こりつつある時だった。

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