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 ファンキーディスコ V-One
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Terryが、1974年に、はじめて勤務したディスコ。
新宿西口小田急ハルクのそば、ビル4階にあった。
今、見るとダサイ名前かもですが、新宿では、初の本格的なファンキーディスコだったと思います。あくまで、個人的な見解ですが・・。

経営母体は、当時、キャバレー界で有名だったクィンビー!(当時、左コンペイさんがTVのCMやってました・・w)・・正式には根本観光という会社です。
この会社はディスコ・チェーン店として、V-One、Q&B、そしてビバヤングという店も数店、展開していました。
「キャバレーの会社がディスコをやっていたの?」と思われるかもしれないけど、当時は「ディスコ」というものが、どうバケるか?その未知の可能性に、いろいろな企業が食指を伸ばしていたのです。

V-Oneでは、横田基地からの黒人DJたちが勤務(アルバイトではありますが)しており、当然、その友達のブラザーたちも週末など大挙して遊びに来るという図式で・・横須賀からのブラザーたちが押し寄せた六本木や赤坂のディスコとは、ちょい異質ながらも・・黒っぽい雰囲気が醸し出されていたんです。

僕がここにいるとき、バンプが上陸しました!!
これは、日本のディスコにとっては革命的な出来事だったと思います。それまで、一列に並んでステップを踊ったり、鏡に向かって踊るというのが主流だった「踊り場」に、チーク以外では珍しい「男女ペアでの躍り」が本格的に流行ったんだよね!
僕としまても、鏡に向かってダンスもいいんだけど、やっぱり、女の子とお尻をぶつけてた方が、百倍、イヤ、千倍は楽しいわけだったんですから、男性は、みんな、そうだったんだろうな〜( ̄m ̄)
好きこそもののじょーずなり!ってわけで、僕はバンプはけっこう、うまいです、今でも・・
たぶん・・ww

バンプのあとに上陸したダンスが「ウォーターゲート」。
これはウォーターゲート事件で、非常にマズい状態になっちゃったニクソン大統領が「右往左往しているところ」を揶揄したダンスなんですね。
だから、首とか腰とかがポイントになるけど、あっちにフラフラ、こっちにフラフラが正しい(?)「ウォーターゲート」です。

そのあと流行ったのが「オールドマン」。
これは、未だによく意味が分からないんだけど・・なぜか、おじいさんが歩くときのマネなんだよねぇ。
なんか、あんま、かっちょよくないダンスでw、そのせいか、バンプ、ウォーターゲートより、短命だったかな?

次に流行ったのが「ファンキーフルーツ」。

このファンキーフルーツは、ロボットやブレイクダンス、ロック、ポップなどに繋がっていくファンキーダンスのベーシックな動作だったと思うけれど、前述の「バンプ」「オールドマン」「ウォーターゲート」のようにアメリカで流行って、そのまま日本に上陸したダンスというより、日本のディスコ業界とレコード業界がタイアップして流行らせようとした企画ものとしてのスタートだったよね。

とは言え・・当時、銀座の松屋の屋上で、「ファンキーフルーツ大会」というのが開催されたのを覚えています。勝本さんが審査員長で、たしか、一位は、六本木メビウスのトマト氏(後の六本木キューの店長)でした。デパートの屋上が、アフロヘアのあんちゃん達でイッパイになった一日でした(__;)。

V-Oneの従業員は、けっこう本気でソウルフルなやつが多くて、北海道や大阪からも集まっていました。
特に大阪から来てた人達で、印象に残っているのは、篠原さん・・どうしているかな?それから、ファンキーフルーツでは日本一と本人豪語してたし、たしかに、ファンキーだったベル・・。彼は、小柄だったけど、身体にスプリングが入ってるみたいだった。ベルは、赤坂の一ツ木通りにあったディープなソウルディスコ「ハーレム」に移っていった。同じく、大阪からのラリー・・。彼もV-Oneの後、ハーレムに移り、けっこう長く店長を勤めていたなぁ。あと、何人かは六本木のエンバシーに移っていった。

僕は・・というと、V-Oneのチェーン店、新宿歌舞伎町の「Q&B」(←クインビーのイニシャルw)に、DJとして誘われ、移りました。

そして「Q&B」で・・
僕は、やはり、横田からの黒人DJ「BoG(ボージー)」と出会う。
彼は、当時の新宿を中心に有名だった黒人5人のダンサーズ(女の子2人、双子の男の子達、そしてボージー。女の子の一人、オーラは後にマイケルジャクソンのスリラーで相手役として出演)を組織して頑張っていました。

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